Neue Musikzeitschrift  2013年 3月

 

久保摩耶子 =タイトル、テキスト、トーン=

日本人作曲家久保摩耶子の作曲工房

ドイツ作曲家協議会ベルリン支部が企画しているニューミュジックスタジオシリーズでは、すでにガブリエル イラニー、シュテファン リーネンケンファーが取り上げられている。今回は1985年以来ベルリン在住の著名な日本人作曲家久保摩耶子が紹介された。

久保摩耶子はウィーンでロマンハウベンシュトック ラマティ、ウルバンネル、チェルハに学んだ後、ドイツではヘルムート ラッッヒェンマンに師事した。以来120曲以上の作品を創作している。なかでもオペラ「羅生門」は、グラーツおよび東京でも上演された。作曲と同時に音楽学、哲学をウィーンとベルリンで学んだ彼女の音楽には、その学識的深さがはっきりと見て取れる。最も小さな編成であるソロ歌曲集といえど、一つ一つの音と響きはドラマ的コンセプトの一部でなければならない。彼女の俳句歌曲の表現でもそれらが証明されている。この俳句集は、ソプラノ歌手ウルリケ スボドニオックによって素晴らしい演奏がなされた。

音楽学者のアーデルハイト クラウゼ ピヒラーは、今夜のトークの主題である「タイトル、テキスト、トーン」の司会をした。彼女は、そこで、専門家の手腕を存分に見せた。まず、作曲の過程はタイトル、テキスト、トーン、

この順序で進められているという説明がはじまった。

久保の作品は、作曲の動機、つまりピアノ曲でも、室内楽でも、オペラでもいつもアクチュアルな社会政治的な要素が重要性を持っている。そしてそのテーマにふさわしいテキストを見つける。そこへ音が付き、響きが重なり、テーマを裏付けて行く。

久保の言葉:「いつ作曲したいという動機が生まれるのですかとか、いつアイデアが浮かぶのでしょうか。天からアイデアは落ちてくるのですか、それとも日常生活のなかからですかと、いつも質問される。タイトルとかテキストは、共に重要なインスピレーションの源にちがいない。

作曲しようとするエネルギーが体に満ち、アイデアも浮かんだ。しかしそこから本当の作曲の難しさが始まる。どのようにしてアイデアを音符にするか、どのトランスフォーメーションを通じてアイデアから音楽へという過程を通るべきか。」

久保摩耶子はこれを優れたピアノ曲で明快に示した。その作品はよく知られた「野バラ」をテーマにしている。久保のこの作品はアンティフェミニスティックなテキストとしてフォーカスした。テキストの底辺には破壊的感情が潜んでいる。このピアノ曲はそれゆえに金属の指ぬきでピアノに向かわなければならない。鍵盤だけでなく、内部のピアノ線、金属の柱、外部の反響板。作曲家はすべての接触点を「野バラ」から得ている訳だが、聴衆の耳にはこの曲のリズムが聞こえてくる。

ピアノ曲「指ぬきのスタディー」はこのようにして1986年に作曲された。アイデアの造形的変容が見える作品である。

性的暴力と少数民族問題も彼女の作曲の核となるテーマである。それゆえに「野バラ」は1995年もう一度、オーケストラとバイオリンソロで使われ、オペラ「羅生門」の第6シーンに引用されている。バイオリンソロは少数派として次第にオーケストラに融合され最後には消えてしまう。

ビーマーから投影された映像はそのドラマチックな構成をはっきりと写し出した。

久保摩耶子の秀でた所は、まず彼女の視点からのドイツ文学とクラシック音楽の対決であるように思える。彼女の作品により、今まで見過ごしていたことや意識していなかった多くの事を聴衆は意識する事ができた。

シューベルトの美しき水車小屋からの「何処へ」の凝縮には驚かされた。それは広島原爆への恐ろしさに満ちた答えであった。

またノイケルン住民から俳句を募集して、それに音をつけソロ曲ができあがったことにも驚かされた。

1時間半のトークの後、7つのノイケルナー俳句 (例えば:やっとピックニックの季節!夏の暖かい芝生、犬の糞が湯気をたてる — エヴァ 

ホルン作詞)の生演奏があった。ここでも見事な曲を仕上げてみせ、またもや久保摩耶子の着想の豊かさに圧倒された。 

クラウディア シュヴァルツ